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私は、昔の「大丸」が好きでした。

幼い頃は、遠くの方から、
 デパートや、繁華街へ誘う、
  アド・バルーンを眩しく見上げながら、
   滅多に買って貰えない、おもちゃのこと、
    屋上の遊園地や、旗を立てたお子様ランチ、
     様々な事に思いを寄せたものでした。

アド・バルーンの下には、
 「何かイイものがあるンだ」
   という印象が強かったですネ!。


確かに空を見上げると、
前向きな気持ちになりますネ!。




5月3日は、
 「アド・バルーンの日」だそうです。

大正2年、5月3日の東京日本橋に、
 日本初の、アドバルーンが揚げられ、
  評判を呼んだ事から・・。

広告の第一号は、「レイト化粧品」
 という化粧品会社。

当時は、気球そのものに、
 文字を書いただけのシンプルなモノでしたが、
  大正10年に、文字の入った布をつける、
   画期的なアイデアが登場し、
    遠くの人々の目にもよく見えました。

その後、アド・バルーンの広告効果が、
 広く認知されるようになり、
  広告を意味する「ad」 と
   気球を指す「balloon」を組み合わせて、
    「アド・バルーン」と
      呼ばれるようになりました。



なんと、この「アド・バルーン」、
 発明したのは日本人だそうで、
  実は、日本独特のモノ・・。

現在でも、アド・バルーンを
 製作している「銀星アド」の創始者、
  水野勝蔵さんと言う人が考案しました。

海外には無かった広告アイテム。

気球が誕生したのは、18世紀ごろ。
 フランスのモンゴルフィエ兄弟によって
  考案されました。

その後、もの珍しさから、
 日本へも輸入されるようになって、
  明治の頃には、日本でも
   気球が作られるようになりました。

神田で広告業を始めた水野さんが、
 この気球に目をつけました。

当時、地上の広告には、
 高い税金がかかっていました。

大空なら、税金がかからず、
 広く開放されて見やすく、
  インパクトも有るだろうと
   言うコトで開発しました。

もちろん、広告効果はバツグン!。



数多くのアド・バルーンが、
 大空に浮ぶ様子は、
 周りの風景にも花が咲き、
  高揚感を誘います。

アド・バルーンは、デパートや、遊園地、
 展示場などで、ひっぱり凧になり、
  その後、アド・バルーンは世界へ進出し、
   ニューヨークや、パリ、といった
    世界中の空を飾り、広告界に貢献しました。

ところが、まさにバブルが崩壊してからは、
 宣伝メディアが多様化したり、
  安全性の面や、コストが掛かる(常に地上で、
   誰かが番をしていないといけないので。)
    理由で、需要が少なくなり、
     最近、見かけなくなりました。

それでも、まだまだ
 マンションのモデルルームの広告や、
  屋内イベントの装飾として活躍しています。

『三丁目の夕日』でも、
  高度経済成長のシンボルとして、
   誇らしげに大高くゆれていた光景が、
    印象的でした。